

版画の古典的な手法で、18世紀末、楽譜を印刷するためにドイツで発明された技法として現在に至っています。
版には平面の石版(石灰石)、ジンク版(亜鉛)、アルミ版などを使用し、転写紙の上に、油性の強い墨、鉛筆、チョーク、クレヨンで作画して、
その上に滑石粉末と硝酸を加えたアラビアゴム液を塗り、この版に油性インキをのせると、水と油の反発作用によって、絵を描いた部分にだけインキが付着する。
この原版に紙をのせ、プレス機で圧力を加えることによって、絵が描かれた部分だけが刷られる仕組である手で自由に描いたそのままが版画となり、
細かい表現も可能な点が大きな特徴で現代作家達もリトグラフを数多く手がけています。


アールリト工房はパリの最も優れた最も古いリトグラフ工房の一つであり、15区の南に位置している。
カルダー、ヴィエラ・ダ・シルヴァ、フランシス・ベーコンなどの偉大な画家たちがそこで成功を収め、
今日なおこの工房はステファン・ギルボに受け継がれ世界的に有名な工房として名声を博している。
その技術はフランスのみならず、すべての世界の画家たちを魅了している。
アールリト社長 ステファン・ギルボ氏
工房への制作依頼は世界中におよび、特に日本、韓国、中国、アメリカ、ヨーロッパ全土に及んでいる。表現方法の違った数多くの作家たちがこの工房にいまだに集い、その中には、アルシンスキー、アルマン、アイズピリ、ギヤマン、ジャンセン、
ワイズバッシュなどの名があげられる。
この工房ではリトグラフを作成する完璧な伝統と熟練した高度な技術を持った刷師によって活気づけられており、
そのスペシャリストたちはその秘密ともいえるリトグラフの技術と知識を最高に高め代々受け継がれている。
完璧な手作りの方法により、彼らはいまだに手動プレスを使った伝統的なプレートマシンで作品を作製している。


ジェラール・ド・フランコニー氏の母は有名な画商アン・ド・フランコニー氏で、彼女はコートダジュールの二ースの自分の画廊でピカソと仕事をし、
シャガールと親交を持ち、藤田やローランサンといった巨匠たちの展示会を彼女の画廊で開いていました。
1965年ジェラールは兄アンドレとともに世界でもっとも有名なリトグラフの版元の会社の一つとなる
「エディション・ダール・ド・フランコニー(版元フランコニー)」を設立し、偉大な巨匠ピカソやミロ、
シャガールのオリジナルリトグラフを起こし流通させ、さらにアイズピリ、ビュフェ、カトラン、ギヤマン、ジャンセン、
荻須などの著名な作家の版元となりました。
1965年当時、リトグラフはいくつかの特別な画廊において独自の方法で販売されているに過ぎませんでしたが、
ジェラールとアンドレは先駆者として、彼らのリトグラフの版をフランスやヨーロッパで愛好家やコレクターたちに直接販売するため、
通信販売やカタログで広めていくことに決め、当時のこの革命的な販売方法は大成功をおさめました。
左:アールリト社長 ステファン・ギルボ
中央:刷師 バルバラ・ジェミオヴスカ
右:ジェラール・ド・フランコニー
そして大変早い時期に彼らは、ドイツ、スイスに子会社をつくり、さらにニューヨークに彼らの事務所を開き、
彼らのヨーロッパでの成功の後日本のマーケットに進出することに決め、まだ日本では知られていなかったリトグラフや
エッチングの技法を広めるために1972年に東京に子会社を設立しました。
30年ののち、彼らは日本においてリトグラフやフランスアートの市場の主導者的な役割を果し、
彼らの名前は日本の美術愛好家やコレクターに大変有名な存在として知られるようになりました。
ジェラール・ド・フランコニー氏は世界中で認められ尊敬される鑑定家で、ビュフェ、カシニョール、カトラン、ジャンセン、
荻須のカタログレゾネなどの美術書も多く出版しています。

刷師バルバラ・ジェミオヴスカが細心の注意を払いトレーシングペーパーを使い色の分析をする。 |
オリジナル作品の微妙なニュアンスを再現するために、色の調合をしている。 |
ジェミオヴスカが原版に色を置いていく。 |
ジェラール・ド・フランコニー氏が色目のアドバイスをしている。 |
回転式のリトの機会で実際にリトを製作している。 |
出来上がったリトグラフの最終的な仕上がりをチェックしているジェミオヴスカ。 |